人をどれくらい信頼すべきか【モンク思考から学ぶ】

考え方

相手に対する期待が理にかなったものであれば、信頼関係は築きやすく、維持しやすい信頼はどんな人間関係にも欠かせない要素だ。信頼とは、自分に対する相手の正直さを信じること、つまり、その人はこちらのためを心底思ってくれ、約束と秘密を守る人であり、将来もその意図を変えないだろう、と信じることを意味する。ただし、その人はつねに正しいわけではないし、どんな課題も完璧に解決できるわけでもない。信頼とは、能力の問題ではなくて、意図の問題ということだ。

信頼は、タクシーの運転手から、ビジネスパートナーや、恋人に至るまで、さまざまな相手に置くことができる。でも、明らかに、誰に対しても同じレベルの信頼を寄せていいわけではない。相手をどのくらい信頼するか、そして、その信頼が妥当かどうかについて、僕らはよく考える必要がある。

モンク思考

みなさんは、信頼を置いていた相手に裏切られ失望した経験はないでしょうか?

私も大学に入り、お金を貸したのに返ってこなかったり等の失望した経験があります。

なぜこのように人間関係のトラブルに至るのか?

原因の1つとして、自身が過度に相手を信頼しすぎてしまっていることが考えられます。
今回は相手をどのくらい信頼すべきか考える指標を「モンク思考」から学んでいきたいと思います。


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信頼関係の四つのステージ

中立的信頼

出会ったばかりの人を信用しないのは当たり前ですよね。

たとえ、相手がおもしろくて、チャーミングで、いっしょにいて楽しい人だとしても、そうしたポジティブな性質は信頼に値するというより、単に相手の好感度を示しているにすぎません。

にもかかわらず、私達は信頼性と好ましさを混同してしまいます。好感度や魅力を信頼性と混同すると、大きな失望を味わう可能性が高くなります。間違った理由で相手を信頼したり、やみくもに信頼したりするのではなく、中立的であるほうがベストです。

契約的信頼

契約的信頼は人間関係における交換条件であるくらいの意味にすぎません。

私達の大半は、偶然出会った人たちの大多数に対して、この契約的信頼を寄せます。ただし、相手からも信頼してもらえると暗に期待しているのも事実です。

こちらに契約的信頼を寄せているにすぎない相手に過度の期待をかけることは、よくて時期早々悪ければ危険を伴います。

私のお金を貸したのに返ってこなかった経験は、契約的信頼を寄せている相手に過度の期待をしてしまったことが原因であると今考えます。

互恵的信頼

契約的信頼が一段階進むと、こちらが相手を助け、相手もいつかそのうち、何らかのかたちでこちらを助けてくれるものと期待できるようなレベルに達します。

契約的信頼は、当事者間に具体的な交換条件の事前合意があって初めて成立するが、互恵的身体の成立条件ははるかに緩く、善良さ、ポジティビティ、心の平安を出発点に行動するということです。。

人は誰もこのレベルに達したいと思っているし、良好な友情はこのレベルに相当します。

純粋な信頼

信頼の最高レベルは純粋な善良さです。何が起きても、相手が支えてくれるとわかっているし、相手もこちらが支えるだろうとわかっている状態です。

最後に信頼のレベル別の人数を図にすると、おそらくピラミッド型になります。

自分のピラミッドに納得できないからといって、無理やり上のレベルに分類すべきではありません。そんなことをすれば、ゆくゆく失望することになります。

僕らが犯す最大の過ちとは、誰もが自分と同じように行動すると思いこむことだ。

信頼を得るためには信頼する必要があるが、信頼しすぎるのも失望する可能性があります。

人が抱える多くの問題は人間関係と言われているように「信頼」というものはとても答えがない難しいものであると私はこの本を見て思いました。

最後に私が感動した考えについて伝えたいと思います。

愛は円を描く

きみが差し出したものは何であれ、いずれは君に帰ってくる。自分のした行為は、よいものであれ、悪いものであれ、自分に返ってくるという、カルマの法則の典型だ。だから、愛されていないと感じるときは、自分に問いかけよう。「わたしは人に助けを求める割に、人を助けていないのではないか?わたしに与えているばかりで、わたしから何も受け取っていない人がいるのではないか?」と

モンク思考

必ず自分のした良い行動は回りに回って自分に返ってくる。愛を与えることの大切さが知ることができる「モンク思考」是非気になる方は見てください!

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